2020年 3月 の投稿一覧

【体重標準化計画】3月の結果!

はじめに

こんにちは、Ryuです。
いつもブログをご覧頂き、ありがとうございます。

今日は、2020年3月の体重推移の結果をご報告させて頂こうと思います。

2月末の体重

1ヶ月前(2月末)の体重は78.8kgでした。
ここから1ヶ月でどのように体重が変動し、そしてその要因は何だったのかを探っていこうと思います。

3月末の体重

3月28日時点の体重は77.0kgで、2月よりも1.8kg減少しました。

体重減少の要因

要因としては、1日1食生活が習慣化したのが最も大きいと思います。
プログラミング学習のために、平日は毎日、移動時間も含めて09:00~23:00が取られているような生活を送っていました。

1ヶ月前までは普通にお昼ご飯を食べたりしていたのですが、3月は主に1日1食+ナッツを間食するような生活をしていました。

休日は普通にお昼ご飯を食べていたのですが、それでも1.8kg体重が減ったのを見ると、一定の効果はあったと思います。

しっかり食べるのは晩ご飯のみ

1日1食にしたことで、しっかり食べる晩ご飯をこれまでよりも楽しむことができるようになりました。
今までも食事を楽しんでいる自負はあったのですが、食事の回数を減らすことで、自分の中の1回の食事のレア度が増した為、このような気持ちの変化があったのだと思います。

ここ最近は、電子マネーのキャンペーンが相次いでおり、3月はメルペイの半額キャンペーンを使用して、主に吉野家でご飯を食べていました。

松屋も近くにあるのですが、吉野家を選んだ理由としては、下記キャンペーンもやっており、併用すると半額以下でご飯を食べることができたからです。

吉野家 モバイルTカードキャンペーン
https://web.tsite.jp/cpn/mbt/2020/yoshinoya80/index.html

ただ、松屋も松屋でちょいちょい「LINEポケオ」のキャンペーンの対象店舗として挙がるので、そういう日は松屋を使ったりしながら、毎日のご飯を楽しんでいました。

今後もしこういうお得なキャンペーン情報などあれば、このブログでも積極的に発信していきたいと思います。

ファーストフードは不健康では…?

吉野家とか松屋とかばかり行っていると、どうしても「不健康な食生活」という印象があると思います。

個人的にもそこは懸念しているところなので、毎回サラダやお新香を入れて、時には魚料理など、1つのメニューに偏らないように工夫をしながら食べていました。
そして、1日1本野菜ジュースは必ず飲むようにしていました。
この辺りの習慣は、4月以降も続けていこうと思っています。

4月は運動を再開していきます

昨日までプログラミングを最優先にした生活をしていて、朝と夜にも1時間程度の移動時間もあった為、一時的に運動をお休みしていたのですが、ぼちぼち運動の方も再開していきたいと思っています。

手始めに、今日は軽い筋トレと散歩のみ行いました。
習慣化をするには、とにかく小さな課題から少しずつ慣らしていくのが良いと思うので、少しずつハードにしていく予定です。

おわりに

以上、3月の体重経過報告でした。
4月末、生活が大きく変わることはもちろん、体重もしっかり減らせるように、また新たな気持ちで頑張っていこうと思います。

TECHCAMP(テックキャンプ、旧 TECH::EXPERT)で過ごしたアクセルベタ踏みの10週間

こんにちは、Ryuです。
いつもブログをご覧頂き、ありがとうございます。

今日は、10週間通ったTECH CAMP(旧TECH::EXPERT)の振り返りや感想を書いていこうと思います。
プログラミングに興味のある方は、ぜひ公式サイトをご覧になってみてください。

テックキャンプ(旧テックエキスパート)公式サイト
https://tech-camp.in/expert

一番は、続けること

私は2020年1月20日に、スクールでの学習を開始しました。
そして2020年3月27日、本日をもって全ての学習を終了します。

今日まで長かったような短かったような、不思議な気持ちですが、なんとか70日間を終えることができました。

この70日間で感じたことは、続けることの大切さです。
今までも個人的に実践してきたことですし、今更改めて書くようなことでもないかもしれませんが、10週間を進んでいく中で、同期で脱落した人も20人弱いました。

彼らを責めるつもりは毛頭ありませんが、どれだけ挫けそうになっても、続けていれば少なからず成長する、ということを身をもって経験できたことは、今後の人生に少なからずプラスに働くなあ、と漠然と思っています。

学んだ内容

学んだ言語、フレームワーク、は下記の通りです。

  • 言語、フレームワーク、ライブラリ
    • フロントエンド
      • HTML
        • Haml記法
      • CSS
        • Sass記法
      • JavaScript
        • jQuery
    • サーバーサイド
      • Ruby
        • Ruby on Rails
      • MySQL
  • その他
    • Git
      • GitHub
    • 情報セキュリティ
    • AWS(Amazon Web Services)を使用したデプロイ
    • BEM記法

他にも学んだことは沢山あるのですが、こうやって項目を羅列していくと、これだけの量を70日間でよくやり切ったなと思います。
この量を独学でやろうと思ったら、正直やり切る自信がないですね…。

高い出費でしたが、結果的に通って良かったなと思いました。

自走を学べる場

エンジニアとして生きていく上で絶対に必要なことは、未知の技術を取り入れたり、エラーを自力で解決できたりする力だと思います。
そうした素養を身に着ける意味においては、TECHCAMPは非常に優れていると思いました。

基本的な学習スタイルがアクティブラーニングのため、自分を含め、受動的な学習に慣れている日本人からすると、正直最初は違和感があります。
その違和感に耐えきれなくなってしまった人が、最終的にリタイアしてしまった人たちなのではないかと思いました。
そういった意味でも、TECHCAMPで学ぶことはとてもハードだと言えます。

逆に70日間のアクティブラーニングを乗り切ったことで、自分の中で、プログラミングだけでなく、「学習」の方法が大きく変わりました。

誰かに頼る勇気

今までの筆者は、わからないことがあると、とにかく調べます。
ここまでは、TECHCAMPでも一緒なのですが、調べて正解が見出せない場合、ずっと考え込んでしまうか、最悪の場合、諦めてしまっていたこともあります。

ここを変えてくれたのがTECHCAMPでした。

最後まで、わからないところがある場合は「メンター」と呼ばれる人たちに質問をすることができます。
正直なところ「メンター」も、それほどプログラミングの技術がとても高い、というわけではないように思えましたが、重要なのはその部分ではなく、他人がどういった方法でエラーを解決したりしているのかを間接的に見ることで、自分自身にはなかった考え方や対応策を知ることができることです。

こうした経験を何度も積んでいくことで、自分自身、「詰まった時に他人を頼ることは悪ではない」ということを認識できましたし、逆に、チーム開発などで別の人が困ったりしている時に、助けてあげよう、という相互扶助の感覚を身に着けることができました。

チーム開発を経験できた

TECHCAMPの最終課題は、「Ruby on Railsを使ってフリーマーケットサイトをチームで開発すること」でした。

最初はそんなことできるのかとても不安でしたし、実際に開発に着手してからも、途方もない道のように思えました。
特に開発序盤で、想定しなかったエラーに直面した時は、自分自身の理解の甘さとチームへの申し訳なさが相まって、自責の念が強くありました。

そんな中でも、良い意味で自由に開発できる雰囲気のチームだったことが幸いし、エラー部分について、普通に開発するよりもとても詳しくなることができました。

これが思いがけない「棚ぼた」で、アプリケーション完成後のコードレビューで担当箇所の不備があった時に、原理をある程度理解できていたこともあり、フロントエンドとサーバーサイド、それにデータベースも修正しましたが、1時間かからないくらいで修正を終えることができるようにまでなりました。

苦労から得る経験は宝

ブログをお読み頂いていた方やTwitterをフォローして頂いている方は、この10週間を通して筆者の情緒不安定ぶりを曝け出してしまったため、ご迷惑をおかけしてしまったかもしれません。
もしかすると「こんな人だと思わなかった」と思われてしまったかもしれないです。

筆者自身が変わったわけではないですが、これまでと環境を大きく変えたことで、一時的であっても醜い部分を曝け出してしまったのはお詫びします。

ですが、それを補って余りある程の経験をすることができたと思っていますので、これから少しずつ、還元できればと思います。

「10週間で、プロのエンジニアになる」と決めてTECHCAMPに入りましたが、プログラムのことを学べば学ぶほど、自分にはまだまだ学ばなければいけないことが多くあることがわかりました。
まさにソクラテスの「無知の知」という言葉がぴったりです。

沢山の苦労を経て、エンジニアとしてだけでなく、人間としても一歩、成長することができたのではないかと思っています。

おわりに

10週間のプログラムを支えてくれたTECHCAMPのスタッフや同期のメンバーはもちろん、外側から暖かく見守ってくださった人たちにも、格別の感謝を送りたいと思います。
TECHCAMP、なんとか自分でも10週間、走り切ることができました。

これからどんな人生が待っているかは全くわからないけれど、ここで得たことは、間違いなく自分自身の今後の人生においてプラスに働くと思いました。

これからも、末長いお付き合いを頂ければ嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。

来週は一旦、実家に帰省をするつもりです。
学んだことや今後のことについて、一度家族にゆっくり報告して、再来週から、また新しい生活をスタートさせていこうと思います。

本当に、ありがとうございました。

「先生」という言葉をあまり使いたくない理由

はじめに

こんにちは、Ryuです。
いつもブログを読んでくださって、ありがとうございます。

今日は、自分自身の価値観を曝け出そうシリーズ(?)をお届けします。
よって、今日お話しすることが万人にとって有用だ、ということでは決してなく、あくまでも「このブログの筆者はこう考えている人なんだ」、という感じで記事をお読み頂ければ幸いです。

「先生」とは…?

実は、この記事を書こうとするまで、自分がなぜ「先生」という言葉に抵抗感を持っているのかを自分でよくわかっていませんでした。
思い当たる節があるとすれば、今まで周りに「先生」という敬称で呼ばれている人や、「先生」という言葉を聞いたり見たりする頻度があまりにも高かったからのように思います。

「何が偉くてそんな先生先生呼ばれてるんだろう」
「そんなに沢山先生がいて良いものか」

正直なところ、
どうでも良いよそんなこと!
とか、
細かすぎ!意味不明!
という声が聞こえてきそうですが、

せっかくこのテーマを文字に起こそうと思ったので、「先生」という言葉について、自分なりに深く考えてみることにしました。

「先生」の定義

goo国語辞書によると、先生の定義は下記の通りとなっています。

せん‐せい【先生】 の解説

4が原義》

 学問や技術・芸能を教える人。特に、学校の教師。また、自分が教えを受けている人。師。師匠。
「国語の先生」「ピアノの先生」

 教師・師匠・医師・代議士など学識のある人や指導的立場にある人を敬っていう語。呼びかけるときなどに代名詞的に、また人名に付けて敬称としても用いる。
「先生がたにお集まりいただく」「先生、お元気ですか」「鈴木先生」

 親しみやからかいの意を含めて他人をよぶこと。
「ははあ―今日は宅 (うち) に居るな」〈漱石・彼岸過迄〉

 自分より先に生まれた人。年長者。
「年の賀も祝はれず、―にはあるまじきことなり」〈鶉衣・戯八亀〉

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%85%88%E7%94%9F_%28%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%9B%E3%81%84%29/ (『goo国語辞書』より引用)

4が原義》とありますが、現代において最も使われている意味として多いのは1の意味、そして私自身は去年まで税理士事務所に勤めていた関係もあり、2の意味でもよく使う印象です。

「先生」という言葉に対する抵抗感の正体

この国語辞典を見て、筆者が持っていた抵抗感の正体がわかりました。
私自身が抵抗感を覚える「先生」の使われ方は、この国語辞典の定義には載っていません。

細かく使われている場面を想像してみると、「何かをやってくれる(た)人」に対して「先生」と付けているような場面が想像できました。
おおよそ、「役に立つ(、もしくは役に立った)人」に対して「先生」という使われ方をしています。

皆さんの周りでは、こういう「先生」の使い方はされていますか?

歪(いびつ)な上下関係

日本で学校教育を受けていると、「先生」=「教師」というのに違和感は無いと思います。
きっと自分自身がこの定義から逸脱することのないまま、「先生」という言葉をインプットしているので、そうでない使われ方をしている時に違和感を覚えてしまうのだと思います。

自分の中では、「先生」自体に上下関係を示す意味が含まれていると感じます。
そしてそれが、上下関係のないところで使われていることに対して、違和感を感じる、というような論理思考だと思います。

だから筆者は、気軽に「先生」と呼び合うような状況を受け入れるのに時間がかかってしまうし、自分自身も、上下関係のない関係で「先生」とは呼ばれたくないな、と思ってしまいます。

「先生」の乱用は、責任転嫁になり得る

気軽に「先生」という言葉を使うことによって、あなたは一時的に簡単に相手より下の立場になることができます。
それは責任を相手に投げるボールの役割を果たし、自分自身は楽になる言葉でしょう。

一度この使い方で「先生」と発してしまうと、この「先生」の使い方の便利さに魅了され、いろんな人に対して「先生」を付けたくなってしまうと思います。
対等な立場においては対等な責任が生じますが、「先生」という言葉を使うことによって、その責任が「先生」と呼ばれた側にスーッと行ってしまう魔法の言葉です。

そして最終的には、自分で行動を起こさない限り、誰からも何も任せてもらえない人になってしまうかもしれません。

おわりに

人は、自分の考えていることを正当化したがるものです。
したがって、この記事自体に、筆者のバイアスがかかっていることも承知の上です。

繰り返しになりますが今回は、筆者の「先生」という言葉の使われ方に対する考えの一部を読んでもらった形となりますので、「この使われ方に違和感を覚えるのが普通だろう」と言いたいわけではありません。

こうして日常の何気ない出来事で違和感を感じた時に、それを文章にすることができるブログは、自分自身の思考整理に一役買っているなあ、と常々思います。

記事にしなければ、違和感が抽象的なまま違和感として残り続けたと思いますが、今回、文字にしたことで何となく違和感の正体が説明できるようになりました。

今後も、もしかしたら別のテーマでこうした価値観の曝け出しを行っていくかもしれないので、日常に対する問いの作り方の助けにして頂くもよし、「自分だったらどう考えるかな」と一緒になって考えるのもよし、あなたにとって役に立つような問いを与えることができたのなら、この記事を発信した甲斐があります。