
満を持す状態なんて、そんなものを待っていたら、人生が終わってしまう。
そう、本気で思ってしまうくらい、今の自分は、何かに追い詰められている。
それは、先の見えない未来に対する不安か、失敗への恐怖か、あるいはその両方か。
時間は、待ってくれない
いずれにせよ、そろそろ立ち上がらなければならないだろう。
昨年12月までは会社に守られており、今年3月までは、学校に守られていた。
何を守られていたかと言えば、環境であると同時に、精神も守られていたのかもしれない。
全てが取り払われた今、自分を守るものは何も無くなった。
何をするにも、手を動かし、足を動かし、頭を動かすしかなくなった。
目指すゴールの先に、理想の死を描けるか
人生において何を成し遂げるべきかよりも大事なことは、死んだ時にこの世に何を残せるかだと思う。
おそらく、1人でも稼げる力がつけば、今抱いている不安は無くなるだろう。
本当のゴールはその先にあるが、今は、それを目指すべき時ではない。
明日の飯もろくに食えない奴がいくらかっこいいことを言ったところで、誰からも相手にはされないだろう。
今はただ、1人でも生きていけることを、実績として残さなければならない。
そして、それを作ることに集中しなければならない。
地位や名声に固執するあまり、自らの目的の段階を見失ってはならない。
精神が未熟であればあるほど、欲はわかりやすく顕在する。
絶望の先に、光は確かにある
これから自分がすることは、おそらく周りの誰もやっていないことで、バカになったと思われるであろうこともするだろう。
自分自身もそれは知るところで、それでも敢えてやっている。
誰かから認められるために人生を歩みたいわけではなく、自分は、自分のために生きるだけだ。
社会からどんな評価をされようと、関係ない。
そう思えるところまで、この3週間で堕ちることができた。
自分自身を守っていた(と思われた)環境や生活や精神を全てぶち壊して見えた世界は、今の自分にとって、想像以上に辛く厳しい現実だった。
だからこそ、これから前に進む力になる。
失敗は、失敗と自覚するから失敗であって、教訓にして成功にひっくり返すことだってできるはずだ。