
「人間は、なぜ新しいものを作り続けるのか」を考えていました。
新しい技術の研究を進め、得たものを用いて、また新たなものを作る。
このプロセスは、人間がここまで発展した歴史の中で、一貫して行われてきたことだということもできるでしょう。
縄文時代、獲物を得るために武器を作ったり、弥生時代、農作物を得るために農具や保管庫を作ったり、その他にも、住居を作ったり、暖をとる道具を作ったりと、人間がこれまでに作ってきたものの数は、計り知れません。
それは物のみにあらず、文化芸術や文学に至るまで様々な分野に渡ります。
人間の進歩の歴史

人間は、何を用いてここまで進歩することができたのか。
それは、「過去に生み出された知恵や技術の積み重ね」とも言うことができます。
ここ数年で技術は目覚ましい発展を遂げました。
その要因として、世界を繋げた「インターネット」の存在が挙げられます。
インターネットは、単に人間同士を繋げるのみならず、様々な技術の共有にも一役買っています。
現代人は、「グローバル」を好み、あらゆることを世界規模、地球規模で考えるようになりました。
世界がまだきちんと繋がっていなかったため、国家レベルでの意識共有が難しかったこともあり、世界大戦のような悲劇が起こってしまったのかもしれません。
人類は本当に前に進んでいるのか

現代では、インターネットを使った攻撃(いわゆるサイバー攻撃)も散見されます。
こういったものを見ていると、「人類は本当に前に進んでいるのか」と思わざるを得ません。
どれだけ科学技術が発展しても、人間の心そのものが何らかの成長をしない限り、核兵器やサイバーテロなどの物騒なものは、この世界からは無くならないと思います。
「前」とは何か

段々哲学っぽくなってきましたが、人間が成長する一要素は、哲学そのものに答えがあると考えています。
哲学は、「考えること」から始まります。
それも、短時間では答えを出すことが難しいものだったり、答えのない問いについての自分なりの解釈・判断をするようなことも含みます。
つまり、考えることなくしては、人間の成長はないと思っています。
考える対象を作る

考える対象がある人は、幸せかもしれません。
目の前の課題や問題に集中することができる、と言うことは、人間が本来の考える力を利用して解決することができる、と言うことであり、これが人間の生きがいややりがいに繋がることも多いでしょう。
しかし、何となく毎日を生きていたり、考える対象が無いような人が多くいることも、また事実です。
そういった場合に有効なのが、哲学です。
哲学は、今幸せだったり、既に考える対象がある人には向かないかもしれません。
個人的には、人生に絶望したり、とりとめのない不安などを感じている人の方が、哲学研究に向いていると思います。
考える対象がない人は、どんな哲学書でも良いので、一度手にとってみて、自分の人生やこの世界について、思いを巡らしてみることにより、心の成長が図れると思います。
考えることで、アイデンティティを養成する

いろいろなことを考えていると、煮詰まったりすることもあると思います。
そういった時は、無理に考えず、気分転換をすることも必要です。
誰かから必要とされている(必要とされたい)人が陥りやすいのは、アイデンティティの欠如です。
これは意外に感じられるかもしれませんが、誰かから必要とされている仕事を続けていると、考える機会は減っていきます。
考える機会が減ると、「前」に進むための時間が消失することになり、自分が自分であることの意味を見出せなくなってしまいます。
つまり、そこで人間の精神性は、死亡することになります。
肉体のみがこの世に生き、精神は死んでいる状態。
とても残酷な現実です。
だから人間は、意識的に考える時間を作らなければならない生き物なのかもしれません。
考えることによって、自分自身を強烈に自覚することができ、失われたアイデンティティを取り戻したり、新たなアイデンティティを養成したりすることができるのだと思います。
まとまりがなくなってきたので今日はこの辺で
物事を考えることそのものは、楽しいことです。
特に哲学は、高度な科学的知識を持ち合わせていなくても入れる学問分野だと思います。
哲学そのものを毛嫌いする人もいますが、考えるための一つのきっかけとして哲学を利用するのは、良いことだと思います。