
人間が生み出した最高の発明の1つに、「言葉」があります。
今や、言葉がなくては人間同士の意思疎通はかなり難しいものといえるくらい、高度に言葉を使った文化が発展しているといえます。
私は元々、話すのが苦手なので、こうして自分のペースで言葉を生み出すことのできる「書く」ということが好きです。
今日は、言葉にすることの重要性について考えてみます。
表現しない自由は存在するか

表現の自由は、日本国憲法第21条で保障されていますが、言葉を用いなければ意思疎通の難しい現代において、「表現をしない自由」はあるといえるでしょうか。
例えば、自分のように話すのが苦手な人間が、話さないといけないような場(複数人ミーティングなど)に出席しなければならないような状態を想定すると、そこには暗黙的に、言論の自由を飛び越えた、「言論の義務」のようなものが生じます。
話すのが苦手な人間にとっては、まさに地獄のような場所です。自分の考えがまとまらないうちに、周りのペースに合わせて「自分の意見」を話さなくてはなりません。
自分自身でも納得していない意見を口にすることにより、誤解が生まれやすいといえます。
話すのが苦手な人間の共通点

話すのが苦手な人間に共通するのは、「物事を多角的・客観的に見たがる」という点です。
この特徴は一長一短で、新たな視点を供給することができる反面、話がまとまりにくくなります。
「納得がいっていない」ということも、ミーティング上ではなかなか言いにくいものです。なぜなら、反論をし、代替案を立てることができるだけの材料を揃える前に、ミーティングが終了してしまうケースが非常に多いためです。
そしてこの一連の流れを脳内で行いながら話の流れについていこうとするため、脳内は基本的に混乱します。そして、話についていけなくなります。
だから、突然話を振られると、全然話を聞いていなかったような印象を周りに与えてしまうケースも多いです。自分自身も何度も経験があります。その度、反省をしています…
人の話に集中する

いくら話すのが苦手でも、人前で最低限のことはしっかり話せなければならないと思っています。でないと、現代においては、あらゆる人間活動に支障が出てしまうためです。
全てのコミュニケーションが文字ベースであれば生きやすいのですが、逆に、文字にするのが苦手な人もいることを踏まえると、双方に歩み寄りが必要だなあ、と感じています。
話すのが苦手な人間のできることは、「とにかく人の話を意識的に聞こうとする」という姿勢を持つことだと思います。
自分の考えに没頭して良いのは、「書く」など、自分のペースで物事を表現できる機会に留めるべきだと思います。
そして、ミーティングなどの場で意見を求められた時は、突発的に適当な言葉を発するのではなく、「今は考えがまとまっていないので、後から文章で伝える」という意思をはっきりと伝えることだと思います。これも、立派な表現の1つだと思います。
頭の回転を速くする

とはいえ、少しでもミーティングの場でしっかりと整理された自分の意見を話してみたいものです。
それをするためには、自分の特徴を生かしつつ、それをミーティング内で完結させる必要があります。つまり、単純ですが、頭の回転を速くすればそれも叶うような気がしています。
例えば、「2×1 = 2」「2×2 = 4」と来たら、次は「2×3 = 6」だろうと予測できますが、急に「8×7 = 56」が来るかもしれない。そんな時のために、九九を身につけておく。
これを仕事などに応用すれば、エクセルなどの表計算ソフトでテーブルやマクロが作成できる技術を身につけたり、プログラミング学習などになるでしょうか。
せっかくIT業界が盛り上がっているので、自分自身の論理的思考力を上げるためにも、もう少し技術力を鍛えるアクションをしてみようと思いました。