【20171025】時間は命を喰らう

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私たちが当たり前のように捉えている「死」は、実は時間に食べられているという考え方もできるのではないだろうか。
この世に生を受けると同時に「死」を確定させられるが、本当は見えない何かに命を削られ、食べられているような感覚になることがある。
今のところ「時間」という答えでしかないが、もしかしたらそれ以外の何かなのかもしれない。
人間は死にゆくように見えて、生き続けている、という考え方もできる。
子孫が繋がっていくことは、人間、ひいては生物全体の徹底的な時間への争いなのかもしれない。
もし私たちが時間に抗うことができるとすれば、子孫を残し、後世まで遺伝情報を伝え続けること以外にありえない。
ただしそれは人間全体というマクロな視点で考えた結論であり、個人というミクロ的視点における最適解とはなりえない。
人間はその生まれ始めから今に至るまで、数々の争いを繰り広げてきた。
人間が人間を喰らうような時代でも、時間は満遍なく命を喰らい続ける。
残酷なまでに、均等に。
人間はいずれ絶滅する。
それは、地球の資源が枯渇し、人間の命を繋ぐものが途絶えた時に起こるか、もしくは隕石や地球爆発などの天変地異が起きるようなこと以外には考え難いが、その時はいずれ来る。
そうなった時、今ここに記録しているようなインターネット上の媒体にアクセスできる生命体がいるとすれば、私たちがこの世界に生きていた記録を人間以外の誰かに語り継ぐチャンスはまだまだ大いに残されている。
決してそれ自体に意味があるかどうかは定かでは無いが、少なくとも、無形のもので残すことができるインターネットのような技術は、人間が生み出した間違いなく有用な記録媒体に他ならない。
なんとなく今日は、いつもと違うテイストで書いてみた。
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