日記

瞑想を200日行って変わったこと【2020/10/22】

マインドフルネス瞑想が人生に与える影響は、近年、様々な研究で科学的に実証されてきています。

現在は、Relookというアプリと、Meditopiaというアプリを使用して、毎日瞑想をしています。

こちらはRelookのアプリ画面。Relookだけでも、もう累計38時間も瞑想をしているようです。

今回は、日々の生活習慣に瞑想を取り入れて、「ここが変わった」と感じたことについてお話しできればと思います。

変わったこと①:感情の起伏が穏やかになった

瞑想をすることによって自分の中で変化が起きたのが、感情的になることが明らかに減ったことです。

瞑想アプリは、それぞれのコンテンツにナレーションが入っていることがほとんどです。

その中で最もよく聞くワードは、「呼吸に集中」。

呼吸に意識を集中することで、雑念を考える余地を少しでも消そうとするのだと思います。

やってみればわかることですが、呼吸に意識を集中し続けるのは、単純なようで、意外と難しいです。

それ自体は、ナレーションでも「ごく自然なこと」と言っていて、重要なのは、意識がそれたことに気づくことだそうです。

この「気づき」の作業によって、瞑想をしていない時でも、いろんな場面で多くのことを気づくようになりました。

その一つが、「感情の起伏」です。

何か嫌なことがあってイライラしているときに、「あれ、今イライラしてるな」と、自分自身で気づくことによって、不思議とそのイライラは、少し収まってきます。

これは何も怒りの場合のみに使えるものではなく、悲しみの感情にも同じように使えます。

また、一見、喜びの感情の時にあえて気づく必要はないと思うかもしれませんが、絶対値的な観点で、テンションが通常でない場合には、予期せぬことが起きやすいものです。そう言った時にも、気づきの力は活きるでしょう。

プラスだろうがマイナスだろうが、感情が平常心から揺れ動いた時に、それに気づくことができるきっかけは、瞑想を始める前よりも格段に増えたような感覚があります。

変わったこと②:多面的なものの見方ができるようになった

これも気づきの力の1つと言えるべきものかもしれませんが、ある物事に関して、客観的・多面的に考えることができるようになったと思います。

この世の全ての物事には、メリット・デメリットの両方が存在していて、それをどのように選択していくかは、自分の主観に委ねられます。

そういった時に、多くの人は、目の前の物事の損得にばかり反応して、自分自身が置かれている状況を度外視してしまうケースがあります。

例えば、お金・地位・名誉欲しさに、時間や身体を犠牲にして働いたり、生活資金でギャンブルをするようなケースが考えられます。

どんな生き方であっても、それが自分自身や他人にとって、生活に支障をきたす害がない限り、尊重されるべきものと思います。

無理やり一言にまとめれば、「人生の価値を、画一的な指標で測ることの愚かさに気づいたといえるかもしれません。

これまで、あればあるほど良いものとされ、誰もが欲しいものとされてきた「お金」「地位」「名誉」「名声」。
実は、それを求めていない人も沢山いて、そういう人たちは、自分のやりたいこと、やるべきことをやっています。

それぞれがそれぞれの人生における価値観を大事にしていける世界が、多面的なものの見方の先に広がっているのではないかと思います。

変わったこと③:アイデアが出やすくなった

これは、あまり瞑想の成果として一般的に挙げられるものではないかもしれませんが、アイデアがとにかく出やすくなりました。

「多面的なものの見方」とも通じる部分があると思っていますが、そもそもアイデアは、自分の中に蓄えた知識の組み合わせで生まれるそうです。

だから、アイデアは、「生み出す」というよりも「組み合わせる」とか「作る」という感覚に近いかもしれませんね。

瞑想をしたことによって、いろんな場面で、新しいことが頭に浮かんだ時に、そのことに気づけるようになりました。
そしてそれを練っていって、「アイデア」として形にできることが増えました。

アイデアが増えた反面、それを実行する時間がなかなか捻出できないのが辛いところですが、自分のアイデアに共感してくれた別の人と助け合って進めていくのも、面白いかもしれませんね。

瞑想=怪しい?

瞑想はまだまだ、怪しいイメージを持っている人も多いと思います。

かくいう私も、最初は宗教的なイメージが強く、なんだか怪しいと思っていました。

でも、瞑想が人間に与える良い影響が科学的に少しずつ解明されてきて、自分もやってみた結果、上記のような恩恵を実際に受けることができたと感じています。

まずは1週間、2〜3分でも良いので、だまされたと思ってやってみてください(←これが一番怪しい)。

言葉にする重要性【2020/10/19】

人間が生み出した最高の発明の1つに、「言葉」があります。

今や、言葉がなくては人間同士の意思疎通はかなり難しいものといえるくらい、高度に言葉を使った文化が発展しているといえます。

私は元々、話すのが苦手なので、こうして自分のペースで言葉を生み出すことのできる「書く」ということが好きです。

今日は、言葉にすることの重要性について考えてみます。

表現しない自由は存在するか

表現の自由は、日本国憲法第21条で保障されていますが、言葉を用いなければ意思疎通の難しい現代において、「表現をしない自由」はあるといえるでしょうか。

例えば、自分のように話すのが苦手な人間が、話さないといけないような場(複数人ミーティングなど)に出席しなければならないような状態を想定すると、そこには暗黙的に、言論の自由を飛び越えた、「言論の義務」のようなものが生じます。

話すのが苦手な人間にとっては、まさに地獄のような場所です。自分の考えがまとまらないうちに、周りのペースに合わせて「自分の意見」を話さなくてはなりません。

自分自身でも納得していない意見を口にすることにより、誤解が生まれやすいといえます。

話すのが苦手な人間の共通点

話すのが苦手な人間に共通するのは、「物事を多角的・客観的に見たがる」という点です。

この特徴は一長一短で、新たな視点を供給することができる反面、話がまとまりにくくなります。

「納得がいっていない」ということも、ミーティング上ではなかなか言いにくいものです。なぜなら、反論をし、代替案を立てることができるだけの材料を揃える前に、ミーティングが終了してしまうケースが非常に多いためです。

そしてこの一連の流れを脳内で行いながら話の流れについていこうとするため、脳内は基本的に混乱します。そして、話についていけなくなります。

だから、突然話を振られると、全然話を聞いていなかったような印象を周りに与えてしまうケースも多いです。自分自身も何度も経験があります。その度、反省をしています…

人の話に集中する

いくら話すのが苦手でも、人前で最低限のことはしっかり話せなければならないと思っています。でないと、現代においては、あらゆる人間活動に支障が出てしまうためです。

全てのコミュニケーションが文字ベースであれば生きやすいのですが、逆に、文字にするのが苦手な人もいることを踏まえると、双方に歩み寄りが必要だなあ、と感じています。

話すのが苦手な人間のできることは、「とにかく人の話を意識的に聞こうとする」という姿勢を持つことだと思います。

自分の考えに没頭して良いのは、「書く」など、自分のペースで物事を表現できる機会に留めるべきだと思います。

そして、ミーティングなどの場で意見を求められた時は、突発的に適当な言葉を発するのではなく、「今は考えがまとまっていないので、後から文章で伝える」という意思をはっきりと伝えることだと思います。これも、立派な表現の1つだと思います。

頭の回転を速くする

とはいえ、少しでもミーティングの場でしっかりと整理された自分の意見を話してみたいものです。

それをするためには、自分の特徴を生かしつつ、それをミーティング内で完結させる必要があります。つまり、単純ですが、頭の回転を速くすればそれも叶うような気がしています。

例えば、「2×1 = 2」「2×2 = 4」と来たら、次は「2×3 = 6」だろうと予測できますが、急に「8×7 = 56」が来るかもしれない。そんな時のために、九九を身につけておく。

これを仕事などに応用すれば、エクセルなどの表計算ソフトでテーブルやマクロが作成できる技術を身につけたり、プログラミング学習などになるでしょうか。

せっかくIT業界が盛り上がっているので、自分自身の論理的思考力を上げるためにも、もう少し技術力を鍛えるアクションをしてみようと思いました。

雲海をどう見るか【2020/10/18】

今朝、母親から1枚の写真が送られてきました。

メッセージには下記のように書かれていました。

道の駅から下を見たら
恐ろしすぎる雲海
綺麗だという人もいるけど、怖すぎて
まるで人のココロの闇に、世間の常識に、見えた

常識は、闇か

母は、雲海を「人のココロの闇、世間の常識」と表現しました。

つまり、母にとって世間の常識は、人のココロの闇のように映っている、ということになります。

母の鷹の目のような視点は、今に始まったことではなく、過去にも何度か同じようなメッセージがいきなり送られてきたことがあります。

どこから見るかで、全てが変わって見える

「雲海」は、雲を上から見たときに使われる言葉です。

雲を下から見るのは日常なので、それは雲でしかないわけですね。

上に登って初めてわかること、見える景色が存在するように、やってみて初めてわかることって、この世に沢山存在しているのだと思います。

だから、ある時点で見たり感じたりした印象をもって、それを事象の全てとはしない方が良いでしょう。

色即是空

母親への返信に、自分は「色即是空」という言葉を用いました。
ちょっと変わり者親子かもしれません。笑

色即是空は、「この世の全てに実体はない」などと解釈される仏教用語です。

つまり、雲海自体には何の意味もなく、雲海によって生み出された感情も、本来は「空」であり、そんなに考え込む必要はないよ、と言いたかったのですが、果たしてちゃんと伝わったか…笑

母は、多くのことを悲観的に捉えがちな癖が昔からあり、楽天的な父とは正反対の人間です。
だからこそ、結婚して支え合っているのかもしれませんね。

幸せも、悲しみも、全て移ろいゆくもの。
そう考えると、少し気持ちも楽になるかもしれません。