“快適”と”幸福”について考えてみた

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こんにちは、Ryuです。

いつもブログをご覧頂き、ありがとうございます。

今回テーマとして取り上げるのは、「快適さ」と「幸福度」です。

私たち人間は、その命が続く限り、幸福な人生を望む生き物だと思います。

全ての選択の先に、自らの幸福があるはずです。

誰かの為に尽くしている人であっても、「尽くす事」そのものが自らの幸福に繋がっているから、尽くすのだと思います。

快適さと幸福度の違いとは

「快適さ」と「幸福度」は、一見すると似たような要素のように思われるかもしれませんが、全く違うと思います。

  • 快適さは、ある程度客観的に測定可能
  • 幸福度は、その人自身が決めるものであり、客観的に測定不可能

まとめると上記の通りなのですが、ここに人間のジレンマが隠れていると思っています。

快適な生活をする不幸者

例えば、経済先進国である日本に住んでいる日本人を考えてみましょう。

電気・水道・ガス・通信などのインフラがほぼ完全に整っており、憲法によって最低限度の生活を保障されている国です。

客観的に見れば、とても快適な国のように見えます。

ここで問います。

Q1.あなたは今、特に不自由のない快適な生活を送れていますか。

そして、もう一問、問います。

Q2.あなたは今、幸せですか。

おそらく、下記のように回答する方が大半を占めるのではないかと思います。

A1.はい
A2.いいえ

その上で、今後どのように2問目の答えを「はい」にしていくかを、今回は考えていけたらと思います。

快適さは環境が作り、幸せは自分が作る

最初に申し上げたように、快適さはある程度客観的に測定が可能です。

快適な生活 = 最低限の衣・食・住が確保された暮らしと定義した場合、ある程度ご納得頂けるのではないかと思います。

もちろん、他の指標が全く快適さを測る指標になり得ないかと言われれば、必ずしもそうではありませんが…。

ただし、幸福度の高い生活を定義する場合は全く違います。

幸福の定義は人それぞれ異なります。

それは、幸福が、個人が持っている価値観・アイデンティティに依存するからです。

だから、誰かの幸福を他人が語ることはできないし、画一的な幸福というものを定義するにしても、誰もが納得できるような、極度に抽象化された最大公約数的な幸福を述べるに留まると思います。

良い習慣を作る為には、幸福の定義が必要不可欠

先日、習慣についての記事を書きました。

この記事の中で、ゴールを決めることの重要性についてお話ししましたが、この「ゴール」を自らの幸福に結び付けても良いと思います。

幸福から逆算した習慣化のしかた

ここで、自分自身が考え、実践している習慣化の方法をお伝えします。

  1. 抽象的で構わないので、自分自身の幸福を定義する
  2. 定義した幸福の構成要素を考えてみる
  3. それぞれの要素をゴールとし、何段階かのプロセスを考える(3ヶ月〜1年程度で区切る)
  4. それぞれのプロセスをゴールとし、何段階かのタスクを考える(1週間〜3ヶ月程度で区切る)
  5. それぞれの計画をゴールとし、毎日、もしくは高頻度で行う習慣を考える

リストにすると仰々しく見えてしまうかもしれませんが、やっていることは非常にシンプルで、抽象的な幸福を実現する為に、行動をできるだけ具体化するということをしているだけです。

これをすることによって、幸福を叶えるための行動が習慣化されやすくなるだけでなく、毎日の行動を決める意思決定のための時間が削減されることになります。

意思決定の為の思考回数は、幸福度と反比例する

これは自分自身が立てている仮説に過ぎませんが、意思決定の為に思考をする回数が多いと、それだけ自分自身の考えを整理したり、見直したりする時間が必要になるため、非生産的です。

それよりかは、最初に自分自身の幸福を定義し、それに倣った行動を実践することで、どういう時にどういったアクションを取るべきなのかを、大元の幸福に照らし合わせて考える事ができるようになった方が良いと思います。

YES or NOの判断をその都度考えていると、段々考える事自体が億劫になり、それが自分自身の幸福を左右する重要な決定だったとしても、その決定を他人に任せてしまったりしてしまい、後から後悔するようなケースもあるかもしれません。

結局は、自分で決めなければ前には進めない

何本か記事を書いていて、自分自身の確固たる価値観に気付く事ができたのですが、どうやら私は「自分自身で決める事」に強烈な価値を見出している人間のようです。

だから、自分で決めてやった事が成功しても失敗しても、幸せを感じる事ができます。

成功したら次はもっと大きい事ができるようになるし、失敗しても「この方法はダメだったな」と、自己成長の糧にする事ができます。

ここで成功するか失敗するかはある意味どうでもよくて、「自分自身で決めてやったことかどうか」という点が非常に重要なわけですね。

幸福は、自分で決めることによって生み出される

同じような考え方が全ての人に当てはまるのではないかと思っていますが、残念ながら他の人の頭の中を覗く事はできないので、ここ数日の記事では、自分自身の価値観を元に、この記事を読んでくださっている方が少しでも幸福度の高い生活を送ってもらえるように、自己決定の重要性についてお話ししてきました。

幸福の定義に関わらず、自分自身で決めたものには一定の責任が生まれます。

自ら意思決定をして動くことは、ある種ポジションを取ることに繋がる為、特に日本人は抵抗がある人が多いと思います。

でも、そこから抜け出さない限り、周りの誰かと同じようなレベルの幸せを享受するに留まります。

それぞれがどんな幸せを求めて目の前の選択をするかによって、それぞれの人生はこの先大きく変わっていくと思います。

快適さに幸せを見出しても良い

どうしても自分自身の幸せの定義が難しい場合は、客観的に測定可能な「快適さ」自体に幸せを見出しても良いかもしれません。

なぜなら、無条件で幸せに気付けるからです。

きっとこの記事を読んでくださっている方の中には、今、目の前にある幸せを感じられていない方もいるのではないかと思います。

蛇口をひねれば水が出ることや、毎日を生きるためのご飯が食べられること、生活する為に便利な電気を使う事ができる事など、目の前の幸せに気付くことで、今度はどんなことに幸せを見出す事ができるかを能動的に考えるきっかけになるかもしれません。

最後に、自分の大好きな言葉で締めくくります。

しあわせはいつも、自分のこころがきめる

相田みつを
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