自分を愛することの難しさ

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はじめに

こんにちは、Ryuです。
いつもブログをご覧頂き、ありがとうございます。

今日は、「自分を愛することの難しさ」というテーマで記事を書いていこうと思います。
ぜひ、最後までお読み頂ければ幸いです。

自分を愛せなければ、他人も愛せない

筆者がこの問題に直面した(この問題があることを認識した)のは、ほんの最近のことです。
それまでは、「愛する」という概念に対して、恐怖に近いような気持ちがずっとあり、愛されたり、愛したりすることに何らかのトラウマがあるレベルで遠ざけていました。

そのこと自体に気づいたのも、つい最近だということになります。

自分のことは、案外よくわからないもの

それまでの筆者は、「自分自身のことは自分自身が1番よく知っている」と思っていたので、自分の気持ちの変化などに対してかなり鈍感だったように思います。

特に、何かに怒っているような時やイライラしている時などは、完全に自分のことしか見えなくなってしまい、性格上、塞ぎ込んで黙ってしまうこともありました。

こういう自分の性格から出る行動って、自分自身は気付きにくいものだと思いました。
誰かから注意されたとしても、自分でそのことを自覚していない場合も多いので、「余計なお世話だ」と思ってしまいますよね。
自分自身もそんな感じでした。

瞑想に取り組んで、自分を見つめ直せるようになった

そんな自分が「瞑想」を始めたのは2019年の頭くらいだったように思います。
ちょうどメンタリストDaiGoのYouTubeニコニコ動画を見始めた頃で、心理学にも興味を持ち始めた頃のことです。

最初は自分自身の今後の人生に役立てたくて見ていたのですが、やがて心理学そのものに興味を持ち始め、その中で瞑想の効果を何度も紹介されており、瞑想に関していろいろな情報を集めるようになりました。
そして、自分自身でも少しずつ瞑想をするようになり、やがて習慣になっていきました。

気づいたきっかけは、メタ認知

瞑想によって自分自身の感覚に集中して過ごす時間が確保され、自分がどういうことをよく考える人間なのかをメタ認知することができるようになってきました。

メタ認知(英:Metacognition)とは、「メタ(高次の)」という言葉が指すように、自己の認知のあり方に対して、それをさらに認知することである。メタ認知という概念の定義やその活動は分野によって様々であるが、心理療法認知カウンセリングをはじめ、ものごとや経験に対して正しい理解を行えているかなど、自分の認知行動を正しく知る上で必要な思考のありかたを指すことが一般的である。

メタ認知 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E8%AA%8D%E7%9F%A5

これを派生させていって、自分がどういったことに喜怒哀楽の反応を示すのかを自分自身で少しずつ感覚としてわかるようになり、自分自身をある程度コントロールすることができるようになってきました。
1日あたり5〜10分の瞑想を1年やってようやくコツが掴めてきた程度ですが、もう少し早く効果を感じることができるようになる方もきっと多くいらっしゃると思います。

自分自身にぽっかりと空いている穴

瞑想をすると様々な雑念が浮かんでくるのですが、何度も瞑想を繰り返す中で、絶対に浮かんでこない雑念があることに気付きました。
それが、「愛情」に関することです。

小さい頃から家族の愛情を受けて育ってきたと思うし、愛に関して何らかのトラウマを持っている自覚も無いのですが、「人を愛する」という行為について、恐怖や不安に近い感情が隣り合っていることを自覚しました。

もしかしたら同じような感覚を持っている方もいらっしゃるかもしれませんが、自分の中では、これは愛することに対する恐怖ではなく、「嫌われること」に対しての恐怖だと思いました。

嫌われるのを極端に避けて、「人を愛する」という、一歩踏み込んだ感情を自分自身でブロックしてしまっているな、というのが、今のところのメタ認知による結論です。

おそらく、結婚をされている方や、恋人がいる方の中にも、過去に同じような経験をしつつ、それを乗り越えた方もいるのではないかと思いますし、そもそもこうしたマインドブロックを経験せずに、愛情に関して何らハードルを持っていない人もいると思います。

誰かにとっての”問題”

全てにおいて完璧な人間などいないですし、どんな人にでも、環境や境遇に応じた問題は存在するものだと思っています。
そうした問題が別の誰かにとってはちっぽけなものだったり、苦労なく乗り越えられるものだったりすると、「自分はなんてダメな人間なんだ」と感じてしまうこともあるかもしれませんよね。

そうしたときには、これは能力差ではなく、性質や性格の違いによるものであることを認識することで、いくらか楽になることはできると思います。

愛情についての問題は、社会的な同調圧力が働く分、解決が難解

筆者自身が問題として抱えている「愛情」についての問題は、例えば社会的には「結婚」という契約を結ぶことによって解決されるものだったりします。

愛情自体は、本来的には「恋愛」や「結婚」とは切り離されるべきだと考えているのが筆者の見解ですが、社会的にはこれを理解するのは極めて困難です。
なぜなら、形式的に「恋愛」や「結婚」という概念によって、愛情の形が制約的になっているからです。

結婚当時はお互いに愛情を持っていたとしても、何年かして冷め切った夫婦関係になってしまい、子どもが出来たりしていると中々離婚にも踏み切れない、といったような例もあると思いますが、人生を考えていく上で恋愛や結婚が社会的に需要なウェイトを占めている以上、誰もが中々避けて通れない道だなあ、と思います。

ここでこんなことを書いても言い訳にしか見えないかもしれませんが、正直そういう世界観に疲れてしまっている自分がいます。

しかし、こうした「誰かが抱えている問題」は、前述したように、他人から見ればちっぽけな問題であったり、そもそも問題として認識していなかったりする人もいる、ということです。

なぜ自分を愛せないのか?

自分を愛せない人は、無理に愛する必要は無いと思います。
過去の自分がそうであったように、まずは自分自身とは違う人格を自分の中に作り出さなければ、自分自身をメタ認知して、その上で自分を愛する、というのは難しいように思います。

今の筆者は、「自分をメタ認知した上で、愛せない」という状況です。
この状況自体は、「課題が明確である」という点で、最初の状態よりは前に進んでいると言えます。
なぜ自分を愛せないのかを考えたときに、いくつか理由が浮かびました。

  • 自分に甘い
  • 悪い癖が治らない
  • 決めたことを守れない(先延ばししてしまう)
  • 意志が弱い

この他にもまだありますが、気が滅入りそうなのでこの辺にしておきます。笑

好きなところを認識出来ていない

悪いところは挙げればキリがありませんが、自分の良いところというのは、自分自身では見つけにくいことに気付きました。

先日、プログラミングスクールの課題で自己PRを書いたのですが、文章を書くのが好きな自分の手が止まってしまい、悩んでしまいました。
最終的にそこではありきたりなものしか書けなかったのですが、自分を愛せないのは、自分の長所を理解していないからだと思いました。
長所を自覚していないから、嫌われるのを極端に嫌い、平均的な人間を目指そうとしてしまっているな、ということに気付きました。

自分で長所を発見することの重要性

多分、誰かに聞けば自分の長所は聞くことが出来るのかもしれません(本当に何も出てこなかったら、それはそれで問題ですね)。
でも、この長所は自分自身で見つけなければならないことのように思います。

筆者自身は、まだまだ自分自身をメタ認知した気になっているだけなのかもしれません。
自分自身を他人の目線で見ることが出来ているかどうかと言われれば、まだまだその域には達していないように感じます。

これを鍛えるには、瞑想を続けていくしかないと思います。
自分自身と向き合う時間を設け続け、日々、新しい自分を発見していく作業をしていくことで、自分はおろか、他人も気づいていない自分の魅力を発見できるかもしれません。

おわりに

私は、「自分を愛し、他人を愛して幸せに生きること」が人生のゴールではありません。
おそらくこのことも自分を愛せない原因の1つになっているのかもしれませんが、いずれにせよ、自分のことをもっと深く知ることで、よりより自分の活かし方も自ずと掴めてくると思うので、これからも瞑想を通じて自分に常に問いかけ続けてみようと思います。

今日はこの記事自体が自分自答のような感じになってしまって、果たして読んでいる人がどんなことを感じるのか皆目見当もつかない状態ではありますが、瞑想については、科学的にもかなりプラスの効果が期待されている行動なので、ぜひ実践して頂ければと思います。

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