「先生」という言葉をあまり使いたくない理由

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はじめに

こんにちは、Ryuです。
いつもブログを読んでくださって、ありがとうございます。

今日は、自分自身の価値観を曝け出そうシリーズ(?)をお届けします。
よって、今日お話しすることが万人にとって有用だ、ということでは決してなく、あくまでも「このブログの筆者はこう考えている人なんだ」、という感じで記事をお読み頂ければ幸いです。

「先生」とは…?

実は、この記事を書こうとするまで、自分がなぜ「先生」という言葉に抵抗感を持っているのかを自分でよくわかっていませんでした。
思い当たる節があるとすれば、今まで周りに「先生」という敬称で呼ばれている人や、「先生」という言葉を聞いたり見たりする頻度があまりにも高かったからのように思います。

「何が偉くてそんな先生先生呼ばれてるんだろう」
「そんなに沢山先生がいて良いものか」

正直なところ、
どうでも良いよそんなこと!
とか、
細かすぎ!意味不明!
という声が聞こえてきそうですが、

せっかくこのテーマを文字に起こそうと思ったので、「先生」という言葉について、自分なりに深く考えてみることにしました。

「先生」の定義

goo国語辞書によると、先生の定義は下記の通りとなっています。

せん‐せい【先生】 の解説

4が原義》

 学問や技術・芸能を教える人。特に、学校の教師。また、自分が教えを受けている人。師。師匠。
「国語の先生」「ピアノの先生」

 教師・師匠・医師・代議士など学識のある人や指導的立場にある人を敬っていう語。呼びかけるときなどに代名詞的に、また人名に付けて敬称としても用いる。
「先生がたにお集まりいただく」「先生、お元気ですか」「鈴木先生」

 親しみやからかいの意を含めて他人をよぶこと。
「ははあ―今日は宅 (うち) に居るな」〈漱石・彼岸過迄〉

 自分より先に生まれた人。年長者。
「年の賀も祝はれず、―にはあるまじきことなり」〈鶉衣・戯八亀〉

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%85%88%E7%94%9F_%28%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%9B%E3%81%84%29/ (『goo国語辞書』より引用)

4が原義》とありますが、現代において最も使われている意味として多いのは1の意味、そして私自身は去年まで税理士事務所に勤めていた関係もあり、2の意味でもよく使う印象です。

「先生」という言葉に対する抵抗感の正体

この国語辞典を見て、筆者が持っていた抵抗感の正体がわかりました。
私自身が抵抗感を覚える「先生」の使われ方は、この国語辞典の定義には載っていません。

細かく使われている場面を想像してみると、「何かをやってくれる(た)人」に対して「先生」と付けているような場面が想像できました。
おおよそ、「役に立つ(、もしくは役に立った)人」に対して「先生」という使われ方をしています。

皆さんの周りでは、こういう「先生」の使い方はされていますか?

歪(いびつ)な上下関係

日本で学校教育を受けていると、「先生」=「教師」というのに違和感は無いと思います。
きっと自分自身がこの定義から逸脱することのないまま、「先生」という言葉をインプットしているので、そうでない使われ方をしている時に違和感を覚えてしまうのだと思います。

自分の中では、「先生」自体に上下関係を示す意味が含まれていると感じます。
そしてそれが、上下関係のないところで使われていることに対して、違和感を感じる、というような論理思考だと思います。

だから筆者は、気軽に「先生」と呼び合うような状況を受け入れるのに時間がかかってしまうし、自分自身も、上下関係のない関係で「先生」とは呼ばれたくないな、と思ってしまいます。

「先生」の乱用は、責任転嫁になり得る

気軽に「先生」という言葉を使うことによって、あなたは一時的に簡単に相手より下の立場になることができます。
それは責任を相手に投げるボールの役割を果たし、自分自身は楽になる言葉でしょう。

一度この使い方で「先生」と発してしまうと、この「先生」の使い方の便利さに魅了され、いろんな人に対して「先生」を付けたくなってしまうと思います。
対等な立場においては対等な責任が生じますが、「先生」という言葉を使うことによって、その責任が「先生」と呼ばれた側にスーッと行ってしまう魔法の言葉です。

そして最終的には、自分で行動を起こさない限り、誰からも何も任せてもらえない人になってしまうかもしれません。

おわりに

人は、自分の考えていることを正当化したがるものです。
したがって、この記事自体に、筆者のバイアスがかかっていることも承知の上です。

繰り返しになりますが今回は、筆者の「先生」という言葉の使われ方に対する考えの一部を読んでもらった形となりますので、「この使われ方に違和感を覚えるのが普通だろう」と言いたいわけではありません。

こうして日常の何気ない出来事で違和感を感じた時に、それを文章にすることができるブログは、自分自身の思考整理に一役買っているなあ、と常々思います。

記事にしなければ、違和感が抽象的なまま違和感として残り続けたと思いますが、今回、文字にしたことで何となく違和感の正体が説明できるようになりました。

今後も、もしかしたら別のテーマでこうした価値観の曝け出しを行っていくかもしれないので、日常に対する問いの作り方の助けにして頂くもよし、「自分だったらどう考えるかな」と一緒になって考えるのもよし、あなたにとって役に立つような問いを与えることができたのなら、この記事を発信した甲斐があります。

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