投資

不況の今こそ、長期投資について考える

はじめに

こんにちは。
いつもブログをご覧頂き、ありがとうございます。

2020年3月現在、コロナウイルスの猛威が世界中を襲い、あらゆる経済活動が停滞しています。

世界的に株価が暴落している今こそ考えるべきは長期投資だと思います。

なぜ今、長期投資なのか

日本は今、銀行にお金を預けても超低金利、下手すると、ATM利用手数料や振込手数料などで実質マイナスとなる可能性もあります。

金利が高い時代は、現金を銀行預金や郵便貯金のみに預け入れるだけでも相当な量の利息が付いたので良かったのですが、今は決してそうではありません。

そのため、今の時代でお金自体に仕事をさせるには、賢い運用術が必要になります。

とはいえ、ほとんどの人はお金の運用なんて詳しくはわかりませんよね。
この記事を買いている筆者も、投資の世界ではまだまだひよっこ青二才です。

ここで登場するのが投資のプロなのですが、プロに任せっきり、というのは、危険が沢山あります。
本記事では危険の内容についての説明は割愛しますが、長期投資を考える上で必ずと言って良いほど必要になる知識「ドルコスト平均法」について、まずは解説していきます。

長期投資の基本、ドルコスト平均法

早速専門用語をぶっ放してしまいましたが、長期投資を考える上でとても大事な考え方なので、ここで解説していきます。

Wikipediaを参照すると、ドルコスト平均法の説明は下記の通りとなっています。

ドル・コスト平均法: dollar cost averaging、DCA)とは、株式投資信託などの金融商品の投資手法の一つ。定額購入法ともいう。金融商品を購入する場合、一度に購入せず、資金を分割して均等額ずつ定期的に継続して投資する。例えば「予定資金を12分割して、月末ごとに資金の1/12を投入し、一年かけて全量を買う」という手法。

高値掴みのリスクを避けるための時間分散の一種であるが、数量を等分するのではなく、金額を等分する点が単なる分散と異なる。価格が高い時は購入数量が少なく、安い時には多いため、単純な数量分割に比べ平均値の点で有利になるとされる。価格が下がった場合のみならず、上がったときにも買う点で難平買いとは異なる。

長期投資でリスクを抑制し、安定した収益を得たい場合に使われる手法である。上げ相場でドル・コスト平均法を行うと平均購入単価がかえって高くなり、収益を減少させてしまう欠点もある。タイミングを精密に測れないため、値動きの激しい商品で、ハイリターンを目指す投資には向かない。

Wikipedia ドル・コスト平均法

おそらく大体の方が途中で読むのを止めてしまうほど難しい文章だと思います。

端的にいうと、ドルコスト平均法は毎回同じ金額を投資に支出するため、高い相場では少なく買い、安い相場では多く買う手法です。

もう少し詳しく説明しますね。

相場が高い場合には買う量が減る

ここでは株で考えるのではなく、豆腐を買う場合を想像してみましょう。
普段、1丁50円の豆腐があるとします。

仮に、この豆腐の味が良く人気が出て、売り切れ(毎日の生産量よりも購入したい人の方が多くなってしまった状態)になるようになってしまったとしましょう。
生産量が変わらないとすると、売り切れの状態を解消するには、価格を上げるしかありませんよね。

ここで売主が1丁100円に価格を上げたとします。
値段を上げれば買う人は減るので、需要と供給のバランスが保たれる、というわけです。

ここでドルコスト平均法を当てはめて考えてみましょう。

毎回、豆腐を買う際に3丁買う人は、豆腐の金額が50円だった時は150円あれば3丁買えましたが、100円になってしまったら300円必要になってしまいます。
これに対して、毎回豆腐に200円使う人は、豆腐の価格が50円だろうが100円だろうが、200円で豆腐を買います。
そのため、1丁50円の時は4丁、1丁100円の時は2丁買うことになります。

景気が悪い今だからこそ、長期投資を始めた方が良い理由がお分かり頂けたでしょうか?
今は、少額で多くの豆腐を買えるチャンスです。
豆腐のバーゲンセール中です。

豆腐の例え、あまり良くなかったかも…

豆腐で例えてみて、投資と比べた時に致命的な違いがあることに気付きました。
それは、「豆腐は腐る」ということです。

なのでここでは、豆腐が腐らない世界を想像して頂ければと思います。

なぜドルコスト平均法が良いのか

ドルコスト平均法の投資が長期投資になぜ良いのかについては、下記記事に詳細にまとめてあるので、興味のある方はぜひご覧頂ければと思います。

おわりに

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

投資と聞くと、どうしてもギャンブル的なイメージと結びついてしまう人も、もしかしたら多いのではないかと思います。
少しでも多くの人がこの状態から脱し、金融リテラシーを挙げられるように、今後も本ブログでは積極的にこうした情報を発信していこうと思っています。

もし何か「知りたいけどわからない、でも人に聞くのはちょっと…」的なことがあれば、リクエスト頂ければ全力で調べて、記事にしてまとめさせて頂くので、お気軽にコメントやSNSへのご連絡を頂ければ幸いです。

努力は報われるのか

こんにちは、Ryuです。

努力は報われるのか、ということについては、既に多くの人が問い続けてきたテーマで、明確な答えが出るような問いではない分、人によって様々な答えがあると思います。

今日は、そういう抽象的なテーマを敢えて取り扱い、自分なりの思考や価値観を整理する意味でも、文章化していきます。

“努力”に対しての基本的なスタンス

まず、自分自身の「努力」についての考え方ですが、努力は自分を高める上で、必要不可欠な要素だと思っています。

なので、自分自身は常に努力をしたいと思っています。

ただし、万人にとって人生を彩り豊かなものにするかどうかと言われれば、自信を持って「YES」ということはできません。

この辺りを、深掘りしていこうと思います。

“努力”には犠牲が付きもの

一般的に、努力することは良いことだと言われていますが、皆さんは、これを疑ったことはありますか。

努力には必ず、様々な犠牲が伴います。

犠牲になりそうな要素を何点かピックアップしてみます。

  • 時間
  • お金
  • 責任
  • (現在、)幸せ(だと思っているもの)

これらについて、順番に考えてみます。

時間は、限られた資源であることを自覚する

まず、「努力する」という行為をするためには時間が必要です。

これは、自分自身を高める時間とも言い換えることができ、主に、時間を能力に変換したり、思考を更に深くまで掘り下げるような行為等が当てはまると思います。

私は今、プログラミングスクールでプログラミングを勉強していますが、これも、時間をプログラミングスキルに変換していることになります。

何かをしたいけれど、それができない状況があるのだとすれば、

  • 時間を犠牲に努力をして能力を手に入れる
  • 諦める

このどちらかの選択になると思います。

現在手元にあるそのお金で、いつの幸せを買うか

続いてはお金についてです。

お金の使い方には、大きく分けて2種類あると思います。

  • 消費
    → 今の幸せを買う。成功率はほぼ100%だが、持続性はない。
  • 投資
    → 将来の幸せを買う。ただし成功率は100%ではない。

このバランスも、価値観によって様々です。

私は、消費を嫌い、投資を好む性格です。
なので、常に精神状態は辛く厳しい状態にあります。
美味しいものを食べるお金があったら、本を数冊買います。

使ったお金が、結局自分のためにならなかったことも沢山あります。
ただ、それは投資に回したお金なので、自分の責任なのです。

消費に回したお金がうまくいかなった時というのは、他人に責任がある場合が多いです。

この「責任の所在」というのは、人生を豊かに生きる上でかなり重要なポイントと言えます。

続いての項目に移りましょう。

努力には、自由も責任も付いてくる

努力の成果が出なかった場合、「失敗した」と思うかもしれません。

しかしそれは短期的に見た結果そのものであって、努力の過程(プロセス)に触れていません。

基本的に、努力することは、自由を勝ち取るための戦いであることが多いです。

そして、それに付随してくるのが責任です。

例えば私は、プログラミングスクールを卒業したら、フリーランスのエンジニアとして働こうと思っています。

これは、自分自身がサラリーマン生活で味わった苦痛から逃れるための手段です。

業務に対する全責任を追わない代わりに、裁量権が中途半端であることは、自分にとって耐えがたいものでした。

ならば全責任を自分自身が取る代わりに、自由に仕事ができる環境を作ろうと思い、プログラミングスクールに通い出したのです。

もちろん、自分自身がフリーランスのエンジニアとして生活できる保証なんてものはどこにもありません。

その代わり、サラリーマンとは違い、時間を自由に使え、仕事も自由に選べます。

ここは、人生に何を求めるかによって、考え方が異なってくる部分かと思います。

幸せって、なんだろうね

例えば、旅行先で美味しい料理を食べるところを想像してみてください。

幸せですね。
流石に私も幸せを感じます。

ただ、これは、その時にしか味わうことのできないものである場合が非常に多いです。

これは、いわゆる「時間やお金の消費」であるからです。

もちろん、「旅行自体が明日からの仕事の活力になる」という人もいるでしょう。

この場合、仕事で幸せを得ることはできないのか?、という疑問が生まれます。

幸せの感じ方も、きっと人それぞれです。

私にとっては、生活そのものを幸せにしたい、という気持ちが強いので、仕事だろうが趣味だろうが、生きている時間をどんどん幸せな時間にしていきたい、と思っています。

今の「努力」の時間は、それを掴み取るための準備の時間、ともいうことができると思います。

もちろん、結果がすぐに出るとは思っていません。

これから、会社員時代には経験してこなかったような辛いことも、もしかしたら待っているかもしれません。

“そんなの、やってみないとわからない。

これに尽きます。

自分にとって、幸せはきっと、人生が続く限り、ずっと追い続けるようなものになっていくんでしょうね。

報われる努力と、そうでない努力の違い

本題に戻りましょう。

今日のテーマは、「努力は報われるのか」というものですが、結論としては、場合によると思っています。

報われる努力・報われない努力

私が「報われる努力」として考えるのは、下記の努力です。

  • 内発的動機付けによって生み出されたモチベーションによる努力
  • 自己犠牲と自己成長のバランスの取れた努力

内発的動機付けによって生み出されたモチベーションによる努力

少し難しい言葉を使ってしまいましたが、内発的動機付けというのは、簡単に言えば自分自身がやりたいと思っていることです。

モチベーションの源泉がしっかりと自分自身の中にあった上でする努力は、たとえそれが成果として結びつかなかったとしても、必ず自分自身の力になります。

そこから新たに生まれるチャンスも、きっと沢山あるでしょう。

逆に、最初から報酬を与えられる期待があったりするような、外発的動機付けによって生み出されたモチベーションというのは、報酬が無くなると同時に、消滅します。

人によっては、次の報酬を目指して頑張れば良い、という人もいるかもしれませんが、ここで言いたいのは、自分の努力(≒時間)が他人によってコントロールされてしまっていることです。

この状態では、自分の意思で人生を生き抜くことはできないと思っていますし、仮に何か夢を持っているとしても、叶えるための障壁が、内発的動機付けによって動いている人たちよりもかなり多くなると思います。

自己犠牲と自己成長のバランスの取れた努力

「頑張ったんだから何か成果が無いと困る」と思っているうちは、なかなか努力が報われることは無いように思います。

ただし、自分自身がボロボロになってしまい過ぎては、そもそも努力するための馬力を失うことになり、人生そのものを壊してしまいかねません。

このバランス感覚は、努力を続けることでしか養われていかないことのように思います。

バランスを取るには、健康管理、時間管理、財務管理、どれも重要です。

どれかが損なわれると、心が不安定になっていくと思います。

生活の基盤をまずは管理して、その上で、自分の身の丈にあった努力をすることが重要なことのように思います。

“努力”を報われるものにするために

最初から傾斜のきつ過ぎる壁を登ろうとしても、登れません。

それを解決する手段が、努力だと思います。

筋力をつければ、もしかしたら登れるようになるかもしれない。

結果的に登れなかったとしても、少し緩やかな壁なら、登れるようになっているかもしれない。

努力が報われるかどうかは、いつだって、過去形でしかわからないものだと思います。

努力の見返りを求めていたり、努力の評価を他人に任せているうちは、本当の意味で「報われる」努力と呼べるものにはならないかもしれません。

でも、それは努力した人にしかわからないものなので、まずは、何でも良いからやってみる、という気持ちが大事だと思います。

少しでも多くの人が、自分なりの努力によって素敵な人生を歩めるように、願っています。